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●<法涌>菩薩の説法 (2009.9.18) 

第4編 般若・戒律

第7節 <法涌(ポプニョン)>菩薩の説法

1.「善の男よ、耳を傾けて聞きなさい。心の本質に深くとどまりなさい。今お前のために「般若波羅蜜」がどんなものであるかを説明するのだ。善の男よ、すべての法は平等で、普通の凡人が情によって考えるような差別はないのだ。

 それを知ることが「般若波羅蜜」なので、「般若波羅蜜」もさらに平等なのだ。あらゆる法は平等なので渇愛の心で考えることと同じ様に、良くて醜くて善良で悪いことはあるはずがない。そしてこの執着から離れて「般若波羅蜜」もさらに執着の境界から離れたことだと思わなければならないのだ。善の男よ、すべての法はこのように平等なことなので、執着から離れることによって、執着する目で生滅・去来があると考える事は間違いなのだ。すなわちその本性は動かないものなのだ。そしてこの執着する心が、これはよく、これは悪いと考えることと同じ様に全ての法自体に考える思慮があって、良いことと悪いことをすることがないので、すなわち考えのない無念ということだと言わなければならないのだ。それなので全ての法は恐ろしい敵をもつことがないのだ。恐ろしがる事がないので無畏の法であり、すべて必ず同じ価値をもっているので、一味の法なのだ。このような価値によってすべての法とひたすらひとつの「般若波羅蜜」もさらに不動・無畏・一味なのものなのだ。善の男よ、全ての法は終わりがないので「般若波羅蜜」も終わりがなく、全ての法は現われたりなくなったりすることもないので「般若波羅蜜」もさらにおなじなのだ。大空と大海が終わりのないことと同じく、<須弥山>の荘厳が非常に手厚いことと同じように、「般若波羅蜜」もさらに終わりがなく、終わりのない大きな荘厳をもっているのだ。天気についてはたまに意味なく突然、天災が起きるけれども、天気自体に何も善悪の思慮があって、そのようなことがおきるわけではないように、「般若波羅蜜」もさらにどんな分別もないものなのだ。色・受・相・行・識の五蘊、地・水・火・風・空の五大が全て限りないので、「般若波羅蜜」もさらに終わりがなく、全ての法の真理が金剛と同じなので、「般若波羅蜜」もさらに金剛と同じなのだ。このように、全ての法と「般若波羅蜜」とは完全に同じなので、全ての法はこのようなものだと分別することができないもの、さらにその真性はこのようなことだと決めることができないこと、さらに執着がないこと、作用をしようとして作用することがないこと、このようなことなどはまったく考えとしては比べられない不思議なことなので、「般若波羅蜜」もさらに無分別・不可得・無所有・無作なこととして、全く神秘的なこととして理解するとよいのだ。」

 この説法を聞いて、<サルタパルン>菩薩はすぐにその場所から法の中に平安にとどまることができて、すべての禅定を授かりました。』

2.お釈迦様はこのように<サルタパルン>菩薩の求法の話を話されて、このようにさらにお話しされました。

『<スブーティ>よ、今私がこの三千大千世界からたくさんの弟子たちに囲まれ、この姿、この名前のもとで「般若波羅蜜」を説法し、さらに<サルタパルン>菩薩の話をすることと同じ様に東方・南方・西方・北方・その四つの間・上下の十方にある<カンガー(恒河)>の砂の数のようにたくさんの三千大千世界の世界にその世界のそれぞれの仏様たちがやはりたくさんの弟子達に囲まれて同じ姿、同じ名前を持って、このように「般若波羅蜜」を説法していらっしゃった。「般若波羅蜜」は本当にあらゆる仏様のすなわち同じ悟りとして神々しい教えなのだ。<スーブティ>よ、<サルタパルン>菩薩はその後でよく聞いて忘れずに、あの大きな海がすべての水を受けてとって、なくしてしまわないようにするのと同じく、いつも仏様の側から離れずに、仏様がいらっしゃる国に生まれて、夢の中でも仏様から離れない体となり、すべての困難と悪魔の妨害もなく、願うままにどんな仏様がいらっしゃる場所でも生まれることができる体となったのだ。それでもこれは全て「般若波羅蜜」を行動したおかげで、これを学ぶのだが、全ての功徳をおこすことも、一切を授かり知ることも出来るのだ。

3.このような説法を終わらせてお釈迦様は最期に<アーナンダ>にお願いする話をされた。
『<アーナンダ>よ、私はお前の師匠で、お前は私の弟子と考えるだろうか?』
『二言もなく、お釈迦様は私の大きな師匠であり、さらに私はお釈迦様の弟子であることを嬉しく思っています。』
『善良だな、<アーナンダ>よ、私はお前の師匠だ。お前は二つの心のない私の弟子だ。弟子としてしなければならないことは今日までに何も過ちなく完璧にしてきた。<アーナンダ>よ、私が考えること、話すこと、さらに行動すること、すべてのことが全部私の意志に間違いなく合わせて来たと考えるのだ。私が生きる間にお前のすることは本当に美しい。けれども<アーナンダ>よ、私が死んだ後には、私に奉仕する心で「般若波羅蜜」に奉仕するとよいのだ。これをぜひとも忘れないでいなさい。私の後が終わらないようにしてください。<アーナンダ>よ、いつ、どんなことがあっても悟りを求める人の前に「般若波羅蜜」があるのだ。この「般若波羅蜜」がある場所にこそ、現在仏陀がいて説法をすることを知るとよいのだ。』

 お釈迦様はこのような説法を終わらせて、一切の生命たちと全ての世間の天人たちは一緒に大きく喜びました。

 

 

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