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●ウダヤナ王の感化 (2009.9.14) 

第1編 お釈迦様の出現

第7章 広まる教化圏

第8節 <ウダヤナ>王の感化

1.お釈迦様が悟りを得てから10数年後のことだ。尊者<ピンドッラ>はお釈迦様の教えによって悟りを授かり、供養の恩恵を返そうと<コーサンビ>に入っていった。自分の力によって、その国でもだんだんお釈迦様の法の種をまく畑が用意された。<コーサンビ>の外にある<カンガー>川の丘に生い茂る「ウダガ」の森はその国の王の丘だった。縄をつくる掌葉樹はどこまでも連続していて、限りなく広がる<カンガー>川の波はすがすがしい風を吹かせた。ある昼の熱い日差しを避けて<ピンドッラ>はこの木の森の陰に坐禅していた。ちょうど、この日<ウダヤナ>はその王妃と宮女たちを連れて、この丘に遊びに来て疲れて、涼しい木陰に静かにしていた。王妃と宮女たちは王が眠ってしまった間にあちこち歩いているとふと、木の下で端正に座っている<ピンドッラ>尊者を見つけ、説法をお願いした。その人たちは尊者の説法に耳を傾けた。しばらくした後に眠りから覚めた王は、王妃と宮女たちが見当たらないことをおかしく思い、後ろを追いかけたが、女性たちに囲まれている比丘を見つけて、婬楽に妬いた王は前も後ろも考える暇もなく、嫉妬の炎を燃やし、声を荒げて叫んだ。

『お前は出家した「サマナ」の姿で、婦女たちに近づいて雑談でふざけているのは、おかしいじゃないか?』
尊者は目をつぶったまま、座って言葉がなかった。狂ったように怒る王は刀を抜いて尊者の首を狙った。尊者はそれでも何の言葉もなかった。王はアカヤマ蟻の巣の山を壊して、アカヤマ蟻の塊を尊者の身体に投げつけ、噛ませようとしたが、尊者はむしろ毛先一本も動かさなかった。その時王は自分が自分勝手に横暴をしたことを恥ずかしく思い、清浄な態度に戻ってきた。次に、その尊者が神々しい<釈迦牟尼>の弟子<ピンドッラ>であることを知ったので、恥ずかしい気持ちに耐えられず、女性たちと一緒に謝罪して尊者の理解を得た。このことによって、王妃の一人<サーマパティ>は厚い信仰心を授かる事になって、それなので<ウダヤナ>もお釈迦様に帰依する縁となった。

2.何日か後に<ウダヤナ>王は<ピルドッラ>尊者の住んでいる森を探し尋ねた。
『大徳よ!若い「比丘」が青春の身体で、青い髪を剃って、授かった五欲楽を味わうこともなく、清らかに生涯の身体をもって出家することはどんな力によってなのでしょうか?』
『大王よ、世の世界の目である<釈迦牟尼>様は私たちに教えてくださった。「比丘たちよ!歳を取った女性を母としてみなさい、自分と同じ年頃の女性は姉としてみなさい、そして若い女性は娘としてみなさい。」と。
それなので若い比丘たちは青春の身体であっても愛欲に引きずられず、清らかな身体をもつことができるのだ。』
『大徳よ、人の心というのはそんなことではありません。母のような女性にも卑劣な考えをおこすこともあり、姉のような女性にも卑劣な考えをおこすこともあり、娘のような女性にも不潔な心をおこすこともできるのです。どうして若い比丘として赤い血を身体に流していながらも清らかな身体を守ることができるのでしょうか?』
『大王よ、世の世界の光明であるお釈迦様が私たちに見せてくれることは「比丘たちよ、この身体はつま先からおでこにいたるまで不浄なもので満ちているのだ。産毛・つめ・足のつめ・歯・鼻水・涙・つば・痰・血・汗・大小便などがいっぱいなのだ。」と。それなので若い比丘は若い身体だけれども清らかな行動を守ることができるのだ。』
『大徳よ!身体と心を鍛錬すれば、智慧を研磨した比丘として、もしかしたらそのようになるかもしれないが、未熟な比丘には簡単ではないことだと考えます。不浄だと観てもいつの間にか清らかな考えを持つことになり、不潔なことだけを見てもいつの間にか美しい心がついてくることになるのだ。若い比丘としての身体をきれいにもっていることは特別な理由がないのでしょうか?』
『大王よ、正しい智慧と正しい目を持つお釈迦様は私たちにお話されました。「比丘たちよ!感覚器官の出入り口をしっかりと守りなければならない。目で光りを見て、耳で音を聞いて、鼻で香りをかいで、口では味をみて、身体で物を触るとき、その像についていって、その世界に執着してはならず、感覚器官の出入り口を守りなさい。貪欲・煩悩はすぐにその守りのない隙を利用して入ってくるのだ。」と。それなので若い比丘は青春の身体であるが、その欲についていかずに清らかな身体をもつことになるのだ。』
『大徳よ、お釈迦様の教訓は本当に素晴らしいのです。真実にそれがわかり比丘の身体で赤い血が流れていたとしても、清らかな禁欲生活をしているのでしょうね。大徳よ、私の経験では身体と言葉と心をよく守れず、正しい考えを守らず、感覚器官に引きずられたまま後宮に入れば、すぐ卑劣な欲望で雰囲気に流されることになるのです。それと反対に感覚器官をよく守り、正しい考えを守るようにすれば、必ず乱暴な欲望に流されないのです。本当に明るくて神々しい言葉を話してくださいました。』と讃嘆しました。

3.お釈迦様は徐々に進み、<コーサンビ>国に入ってきて、<コーシタ>長者が新しく建てたお寺に泊まられた。<マーカンディヤー>はすでに<ウダヤナ>の第1皇后として、報復の機会を待っていた。お釈迦様のお出ましされた評判を聞いて、道端の悪党たちにお金を使ってあらゆるお釈迦様の悪い噂を流した。比丘たちは托鉢をしに市内に入るたびに、お釈迦様を非難する声を耳にして、聞いた事で混乱した。<アーナンダ>はお釈迦様に申し上げた。
『お釈迦様よ、私たちは市内にとどまることができないと思います。他の村に移っていくことがよいかと思います。』
『<アーナンダ>よ、もし他の村に移って行っても、その村でまた非難がおこればどうするつもりだ?』
『お釈迦様よ、また他の村に移って行きましょう。』
『<アーナンダ>よ、そのようにすれば、どこまで行っても限りがないではないか?私は非難を受ける場所で、動かずにその非難を受けて、その非難が終わった後に他の場所に移っていくことがよいと思っているのだ。<アーナンダ>よ、「如来」は利益と害悪、妨害と讃嘆、繁盛と衰退、苦しみと楽しみ、この8種類に動かないのだ。この非難も7日を越えたらなくなるのだ。』
<マーカンディヤー>皇后の計画は嘘となり、お釈迦様を信じる人々はもっと多くなったので、その非難は自然と消えてしまった。<サーマバティー>皇后の<コーシタ>長者の養女、<コーシタ>のその父親の友達だった。本来大きな富豪だったので、その市がひどく飢饉で苦痛を受けるとき、両親が世を去って、<コーシタ>長者に依存して、育ったのだ。そうこうするうちに<ウダヤナ>皇后に入って行って、長者のお釈迦様を信仰する因縁によって静かな心でお釈迦様を敬った。
<サーマバティー>の侍女で<ウッダラ>という背が曲がった人がいた。この女性はいつも皇后のために花を買ってくる仕事を任されていた。ある日、花屋に行くと、主人の言葉は
『今日はとても忙しいので花を見ることもできない。お釈迦様のところにお供えするためなので、あなたもちょっと手を貸してください。』と言った。その女性はお釈迦様のいらっしゃる場所に行って、お釈迦様さまの説法を聞いた。この女性は生まれつき聡明で記憶力があってお釈迦様の説法をそのまま暗記し、帰ってきて<サーマバティー>皇后にそのまま唱えた。その後でふたりは仏法に帰依しました。

<マハーカンディヤー>はその事情を知っていつも王様に告げ口をした『<サーマバティー>は<ゴータマ>に心を捧げているので、<ウッダラ>がそのお使いの人をして、いるのです。』とさまざまに悪いたくらみをして王に言いつけた。王はとても怒って<サーマバティー>とその侍女を呼びつけ、毒の弓を放とうと思った。<サーマバティー>はその内容を調べて、静かに心を落ち着かせて整理し、侍女<ウッダラ>に死ぬ準備をするように静かに王の前に行って、弓だけを受けるようにした。王は弓を放った。けれども弓は王の手から離れなかった。驚いた王の顔は油のような汗が流れ、身体は風前のススキのように揺れて、口には泡を吹き出しながら、死ぬ程苦しい声で<サーマバティー>の保護を願った。
『弓矢を下に向けるようにしてほしい。』
ようやく弓矢は王の手から離れた。王は不思議に思って、自分もお釈迦様の法に心を傾けるようになった。その後ではたまにお寺に行ってお釈迦様の説法を聞いたりもして、また比丘たちを宮中に招待したりもした。

5.お釈迦様は<コーシタ>お寺で夏の「安居」をされた。雨期の3ヶ月の間<サーマバティー>皇后は自由にお寺に行って、供養を差し上げて、毎日比丘一人ずつ後宮に招待して「布施」をした。主に<アーナンダ>がその供養を受けた。
ある日<ピンドッラ>尊者は行事で自分の悟りを告白した。
『煩悩が尽きて、明るい行動を成就してすることはすべて終わった。この後からは迷夢の中で生まれ死ぬことはないのだ。』
お釈迦様は比丘たちに言われました。
『比丘たちよ、<ピンドッラ>は正念と定と智慧と3つの悟りとして「煩悩が終わって明るい行動を成就した」と悟りを告白した。』
<ピンドッラ>はその悟りの喜びを歌で話した。

6.「安居」を終わらせた時に<サーマバティー>皇后は5百着の服を<アーナンダ>に供養した。<アーナンダ>はこれを教団のあらゆる比丘たちに配ってあげた。このことを聞いた<ウダヤナ>は<アーナンダ>を探してみて
『大徳よ!「サマナ」としてとてもたくさんの供養を受けることはとても欲望が深いのではないか?そのようにたくさんの服をどのように処理するのでしょうか。』
『大王よ、それは服がやぶれた比丘たちに配ってあげるのです。』
『そのやぶれた服はどうするのですか?』
『やぶれた服は座床を覆うために使うのです。』
『古い座床を覆っていたものは何に使うのですか?』
『枕のカバーに使います。』
『古い枕のカバーは何に使いますか?』
『敷布団のカバーに使います。』
『古い敷布団のカバーは何に使いますか?』
『足を拭く雑巾に使います。』
『古い雑巾は何に使いますか?』
『大王よ、私たちはやぶれた雑巾は小さく切って泥に混ぜて壁に塗りこんで使います。』
『そうですか。お釈迦様の弟子はよく物を利用する方便があるのですね!』
王はこれによって感心して帰った。

 

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